ヒーローに必要な要素は「現実味」と「勇気」である、そして私にはそれが足りない

 わたしが初めてヒーローを意識したのは、幼稚園時代だったと思う。
それは、今なお健在の戦隊シリーズを見たときだ。

 

 毎回「悪者」がどこかから派遣され、5人の戦隊がそれと戦った。
「悪者」は街を壊したり、人が倒れるような悪さをしたりしていた。

 

 彼らは、わかりやすく人間が困ることを行っていたのだ。

なぜ毎回5人に負けるのに、悪者は1人でやってくるのだろう、そんなことは気にもしなかった。

やっつけることで、人間が平和になる。それがこの時、わたしが理解した正義だった。

しかし現実には、人間が困ることをする人間以外の「悪者」は身近には存在していなかったため、放送を見た後、正義感だけが空回りしたのだった。

 

また、昔話の桃太郎や一寸法師などにはヒーローを感じなかった。なぜなら子供の私にとってもその物語は現実離れしすぎていたからだ。

(ヒーローには現実味が必要なのだ。)

 

小学生になり、わたしのヒーロー感は変化していった。

戦隊シリーズを卒業し、わたしの関心は「人間対人間(宇宙人)」の戦いに移っていった。

 ガンダムシリーズや、聖闘士星矢ドラえもんの映画シリーズ、宇宙戦艦ヤマト北斗の拳など名作が並ぶ。当時の男の子にとっては普遍的な道のりだ。

 

 ガンダムやヤマトについては物語の設定背景が深すぎて小学生の私には理解できてはいなかった。実際、大人になった今でも理解できていない。これは昭和の大人のエゴのように思えるが、そもそも「アニメーションが子供向け」という設定はなかったのかもしれない。

 現在においてもそれは同じで、大人が惹かれる作品が生まれ続けている理由だと思う。

 

さて、「人間対人間」の戦いの中でわたしはヒーローに何を学んだのだろうか。

ひとつは、主人公の特別な才能がかっこいいということ、そして、もうひとつは勇気だったと思う。のび太君でさえ、映画の中では勇気を振り絞ったのである。

(テレビの中のヒーローには特殊な才能と勇気がある場合が多い)

 

そして、同じ人間の間でも敵と味方が存在し戦うことを理解したのである。

 

中学生になり、私のヒーロー感はさらに変化した。

これまでの「正義、悪」から音楽アーティストや、ドラマの主人公に移っていった。

 

これも普遍的にな流れだと思うが、見方を変えるとより現実的になっていったのだ。

社会に異を唱えたり、物語に彩を添えるミュージシャン、限られた瞬間を生きる主人公に惹かれていった。

 

それからしばらくして、大河ドラマなどに興味を持ったが、自分の中に新たなヒーローは誕生せず、ヒーロー感自体が薄れていった。

 

社会人になってから、より人生は現実的になり、生活に追われる経験もあって、周囲をヒーローなどと言ってられなくなったのだ。

 

わたしにとってヒーローが存在する可能性は0になってしまったのだろうか?いや、そうは思わない。

 

幼稚園から小学生時代の変化から推測するに、生活に沿ったより現実的なヒーローに出会っていれば結果は違っていたと思う。

 それは特殊な才能と勇気を持つ、革命家、政治家、思想家、起業家、歴史上の人物などなどと予想する。

 

今回、自分のヒーロー感を振り返ってみたのは、新たなヒーローに出会うための分析を行うためだ。

 結果、得たキーワードは以下になる。

「特殊な才能」

「勇気」

「より現実味があること」

 

「特殊な才能」は特殊であるがゆえ難しいが、残り二つは身近に居たりしないかなと思う。