大切な人に誇れるような「仕事」と「働き方」を

 イエモンの「JAM」の歌詞について書いた後、僕は震えた、何か始めようと...

hakanashi.hatenablog.com

 

最後まで変わらず残るのが「誇りと愛」であれば、

誇れるような「仕事」や「働き方」を大切な人のために日々行う。

そのような環境や、物語を作るのもひとつの仕事ではないだろうか。

 

NHK総合テレビで放送されていた「プロジェクトX 挑戦者たち」を知っているだろうか?

番組内容は、主として終戦直後から高度経済成長期までの、産業・文化等の様々な分野において、製品開発プロジェクトなどが直面した難問を、どのように克服し成功に至ったかを紹介するドキュメントである。身近な自動車、家電を初め、当時の日本経済を牽引した重厚長大産業、地図に残る公共事業(ハコモノ、橋梁)などが多く見られる。無名の日本人リーダーと、それに従い支えた多くの人々による挑戦と努力、そしてその成果の紹介がテーマ....

 

プロジェクトX〜挑戦者たち〜 - Wikipedia

 

この番組は、過去の困難な課題、活躍した無名のリーダーを掘り下げたものであるが、

我々はいま現在、あるストーリーを生きている。

そしてそれは、他との比較、社会的な格差、見方によって簡単にネガティブにとらえられてしまうのである。

とても残念なことで、個人が誇りを持つ、保つ機会が失われているように思う。

 

どうすればよい方向に向くことが出来るのか、いまはまったくわからないが

少なくとも知っている音楽のいくつかは、次の道を示しているように思う。

【歌詞考察】イエモン「JAM」の歌詞が最近心に刺さる

 THE YELLOW MONKEYの「JAM」という曲を知っているだろうか。

Wikipediaによると1996年2月29日にリリースされ80万枚売り上げた大ヒット曲だ。

この曲の歌詞が最近心に刺さるのだ。

時は裏切りも悲しみもすべてを僕にくれる

僕らは強く 僕らは美しく

儚さに包まれて切なさに酔いしれて

 

過ちを犯す男の子 涙化粧の女の子

たとえ世界が終ろうとも二人の愛は変わらずに

Good Night数えきれない罪を超えて

 

わたしがこの曲に出会ったのは高校生のころだった、当時地元のバンドがカバーしていてそれを聞いたのが始まりだ。

 

それから20年以上たったいま、再びこの曲の歌詞を思い浮かべている。

そう、歌詞の通り数えきれない夜を超えたあと、

再びこの曲のメッセージについて考え直している。

 

裏切り悲しみを幾度となく味わった。

心が震える喜び、感動もあった。

生まれる前のような安心を与えくれる人とも知り合った。

 

そして、すべて通り過ぎたいま、この曲の歌詞は最後のメッセージを与えてくれるように思う。

この世界に真っ赤なJAMを塗って食べようとするやつがいても

過ちを犯す男の子 涙化粧の女の子

たとえ世界が終ろうとも二人の愛は変わらずに

今タイトルのJAMは血、Bloodではないかと考えている。

 

争い、支配、過ち、涙、悲劇。

そのような夜を超えて、生きてゆくあなたは、

儚く美しいのだ。

そして、愛だけは何者も支配できないのだ。

 

いま、「JAM」はこのようなメッセージをわたしに与えてくれるのである。

ヒーローに必要な要素は「現実味」と「勇気」である、そして私にはそれが足りない

 わたしが初めてヒーローを意識したのは、幼稚園時代だったと思う。
それは、今なお健在の戦隊シリーズを見たときだ。

 

 毎回「悪者」がどこかから派遣され、5人の戦隊がそれと戦った。
「悪者」は街を壊したり、人が倒れるような悪さをしたりしていた。

 

 彼らは、わかりやすく人間が困ることを行っていたのだ。

なぜ毎回5人に負けるのに、悪者は1人でやってくるのだろう、そんなことは気にもしなかった。

やっつけることで、人間が平和になる。それがこの時、わたしが理解した正義だった。

しかし現実には、人間が困ることをする人間以外の「悪者」は身近には存在していなかったため、放送を見た後、正義感だけが空回りしたのだった。

 

また、昔話の桃太郎や一寸法師などにはヒーローを感じなかった。なぜなら子供の私にとってもその物語は現実離れしすぎていたからだ。

(ヒーローには現実味が必要なのだ。)

 

小学生になり、わたしのヒーロー感は変化していった。

戦隊シリーズを卒業し、わたしの関心は「人間対人間(宇宙人)」の戦いに移っていった。

 ガンダムシリーズや、聖闘士星矢ドラえもんの映画シリーズ、宇宙戦艦ヤマト北斗の拳など名作が並ぶ。当時の男の子にとっては普遍的な道のりだ。

 

 ガンダムやヤマトについては物語の設定背景が深すぎて小学生の私には理解できてはいなかった。実際、大人になった今でも理解できていない。これは昭和の大人のエゴのように思えるが、そもそも「アニメーションが子供向け」という設定はなかったのかもしれない。

 現在においてもそれは同じで、大人が惹かれる作品が生まれ続けている理由だと思う。

 

さて、「人間対人間」の戦いの中でわたしはヒーローに何を学んだのだろうか。

ひとつは、主人公の特別な才能がかっこいいということ、そして、もうひとつは勇気だったと思う。のび太君でさえ、映画の中では勇気を振り絞ったのである。

(テレビの中のヒーローには特殊な才能と勇気がある場合が多い)

 

そして、同じ人間の間でも敵と味方が存在し戦うことを理解したのである。

 

中学生になり、私のヒーロー感はさらに変化した。

これまでの「正義、悪」から音楽アーティストや、ドラマの主人公に移っていった。

 

これも普遍的にな流れだと思うが、見方を変えるとより現実的になっていったのだ。

社会に異を唱えたり、物語に彩を添えるミュージシャン、限られた瞬間を生きる主人公に惹かれていった。

 

それからしばらくして、大河ドラマなどに興味を持ったが、自分の中に新たなヒーローは誕生せず、ヒーロー感自体が薄れていった。

 

社会人になってから、より人生は現実的になり、生活に追われる経験もあって、周囲をヒーローなどと言ってられなくなったのだ。

 

わたしにとってヒーローが存在する可能性は0になってしまったのだろうか?いや、そうは思わない。

 

幼稚園から小学生時代の変化から推測するに、生活に沿ったより現実的なヒーローに出会っていれば結果は違っていたと思う。

 それは特殊な才能と勇気を持つ、革命家、政治家、思想家、起業家、歴史上の人物などなどと予想する。

 

今回、自分のヒーロー感を振り返ってみたのは、新たなヒーローに出会うための分析を行うためだ。

 結果、得たキーワードは以下になる。

「特殊な才能」

「勇気」

「より現実味があること」

 

「特殊な才能」は特殊であるがゆえ難しいが、残り二つは身近に居たりしないかなと思う。